レイキは日本で生まれた!

レイキ(霊気)は今ではカタカナで表記されることが多く、Reikiとして欧米で盛んに使われているため、日本発祥であることは意外に知られていないようです。現在のレイキ人口は世界で600万人以上と言われますが、日本では5万人超と推計されており、欧米での使用者の方が圧倒的に多いのが特長的です。

発祥は1920年代に臼井甕男(ウスイ ミカオ)氏によって発見され、誰にでも出来る「霊気療法」として確立されました。

臼井氏は霊気療法を「人間公益の為に開放し、何人をもともに天恵に浴せしめ」と考え「霊受」という、誰にでも霊気が使えるようになる方法を確立しました。この霊受が後に海外レイキで「アチューンメント」となりました。

戦前の日本では霊気は社会的に認知され、全国に「臼井霊気療法学会」の運営する支部があり、多数の治療に役立てられていました。日本にはもともとこのような民間療法、目に見えないものを自然と受け入れ活用する土壌があったのです。

しかしながら第2次世界大戦後、GHQの代替療法禁止政策により、鍼灸治療などとともにレイキも活動を一切停止せざるを得なくなりました。敗戦・占領は日本人の価値観全体に大きな影響を与え、その後欧米文化重視、価格的思考重視が主流となり、レイキは日本で急速に廃れてしまったのです。

Reikiとなって逆輸入!

霊気は第2次世界大戦の日米開戦3年前に日系2世の高田はわよ氏によってハワイに伝えられ、それが西洋レイキの基礎となりました。

当時、臼井先生が育てた20人の師範のひとりである林 忠次郎氏が東京信濃町に霊気治療所を開いていました(1925年開設)。高田はわよ先生は難病を患い手術を受けるために日本へ帰国した際、手術を受けることをやめ、主治医の紹介で林先生の治療所で霊気治療を受け完治しました。その後、1年間、林先生の弟子として治療で働いた後、ハワイに帰国し、現地にレイキクリニックを開きました。

高田先生は1980年に80才で死去するまでに22名の指導者を育成し、その後、ニューエイジブームにより科学主義、物質主義一辺倒の考えが崩れ、精神的なもの、スピリチュアルな考え方の普及に伴って、レイキもたくさんの人たちに知られるようになりました。

このようにして世界中へ普及したレイキは、1980年代後半にドイツ人フランクペッター氏によって日本へ逆輸入されました。実質的には1993年から本格的なティーチャーまでのセミナーが始まり、それによりようやく少しずつ一般の人にレイキが伝わるようになりました。

また一方で海外からのレイキ逆輸入という刺激を受けたことにより、山口忠夫氏が「直傳靈氣」という名称で純粋な伝統霊気の普及を行っています。